オーバーロードから「人間」を哲学する

   

 

いらっしゃいませ。

 

随分お久しぶりですが、お変わりなく過ごされていますでしょうか?

さて、私たち人間は地球に住み、その環境を私たちに合わせて変化させてきました。

それはある種、概ね人間が地球上の食物連鎖で頂点に立っているからできたことでしょう。

そういう状況が覆ったとき、私たちの精神はどうなるのでしょうか。

 

ところで、私は最近とある小説にはまっておりまして、「オーバーロード」というのですが、本日はその世界観についてのお話です。

 

 

オーバーロードのあらすじ

 

極力ネタバレを避けるように書きますが、多少は含んでしまいます。

嫌な方は続きを読む前に原作をお楽しみくださいm(__)m

 

 

 

さてオーバーロードのあらすじとしましては、とても端的に述べれば「ゲームの世界に取り込まれてしまった」というところから始まります。

 

主人公は一介の社会人で、DMMORPG「ユグドラシル」をやり込んでいるプレイヤー。

社会人限定のギルド「アインズ・ウール・ゴウン」のギルド長を務めています。

 

主人公のキャラクターは「モモンガ」という名前で、見た目は骸骨です。

 

ユグドラシルのサービス終了最終日、最後の瞬間まで接続していたモモンガですが、終了時間になっても途切れることはなく、また大した反応ができなかったNPC達に命が吹き込まれたかのような挙動に動揺します。

そして同時に、今がゲームの世界ではないと考え始めるのでした。

 

 

特性

 

以上が簡単なあらすじですが、面白いのが主人公モモンガは人間ではなく骸骨のままで過ごすことになる点です。

中身はただのサラリーマンですが、そのまま多くの部下に慕われるギルドの長になってしまうわけです。

またその慕い方も尋常ではなく、モモンガを相当な気苦労が襲うのですが、そこを骸骨(アンデッド)であることの特性が助けます。

 

それは「大きな感情の起伏を強制的に抑える」ことです。

 

喜怒哀楽から性的な気持ちまで、すぐに抑制され冷静になります。

・・・少し残念な気持ちになりますね(笑)

 

モモンガは作中何度か「このままいけば、いずれ感情を完全に失うんだろうか」と考えています。

 

ここから考えると、アンデッドとは感情のないものだと言えるかと思います。

逆に言えば人間は感情に素直な生き物です。

 

しかし現代社会はどうでしょうか。

無邪気な子供も年を重ねて、いつの間にか感情ではなく理性で、合理的に生きることを余儀なくされます。

集団によるルールで、仮面をつけて生きることが当たり前になりつつあります。

感情を表に出すことを「みっともない」と言います。

もしかしたら、今の社会はアンデッド化が進んでいるのかもしれませんね。

 

人間として生きるということを定義づけるのは難しいですが、大切な自分自身のSOSには気付いてほしいと思います。

 

とはいえ、欲深いのも人間の特性のひとつですので、そのあたりはほどほどに・・・

 

さてそれでは今回はここまでとなります。

人間は社会的な生物ですが、集団と個の関係性、バランスは考えなければなりませんね。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

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