物語シリーズ「阿良々木暦」の名言を考える

いらっしゃいませ。
私がこれを書いているのは梅雨の季節ですが、いかがお過ごしでしょうか。
雨の日にはゆっくり読書をするのもいいものです。
水滴の落ちる音が耳に心地よく、時間を忘れて物語の世界に没頭できます。
さて今回は、私の好きな小説「物語シリーズ」より、主人公の阿良々木暦の名言を取り上げます。
物語シリーズは、化物語から始まるシリーズもので、アニメ化もされているのでご存知の方も多いかもしれませんね。
会話のテンポがよくて、さらにウィットに富んでいて面白いです。
名言その1 恋
今回の名言は、恋についてです。
今現在恋をしている人も、していない人も、一緒に考えてみましょう。
あいつのことがたまらなく好きだけど――でも、この気持ちは恋じゃないな
だって僕は、羽川のために死にたいって思ってるんだもん。―――猫物語(黒)
羽川とはヒロインのひとり、と思っていてください。
「○○のためなら死ねる」が恋だとするなら、「○○のために死にたい」は恋ではないのだろう、という言葉です。
どちらもとても相手のことを真摯に想う言葉には違いありません。
しかし前者と後者ではやはりニュアンスが違います。
「~死ねる」は、命を懸けても守りたいだとか、そういう気持ちです。
一方「~死にたい」は、自分の命をその人のためだけに使いたいという感情でしょうか。
後者のほうがより強く、より激しい気持ちであるように思います。
羽川に対して想いを募らせていた阿良々木は、それがもう「恋」という枠には収まらないほどになっていました。
恋という一言を超越した気持ちを表現したかったんだろうと思います。
「死にたい」という言葉は、やもすればネガティブですが、今回の場合は通常のそれとは違っていることが伝わります。
かといってポジティブな意味でもありません。
静かに自分の気持ちを見つめて、純粋に素直な想いを心の外側に出したのです。
だから、とても激しい気持ち、強い気持ちでありながら、ここまで落ち着いて言葉になったのでしょう。
名言その2 正しさ
間違ったことでも、酷いことでも、馬鹿げたことでも、
多くの人がそれを肯定すれば、
正しくなってしまえることを、僕は知った。―――終物語
背筋が凍りますね。
同じことを思っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
「正しさ」とはなんなのか、説明できますか?
輪郭がはっきりしているようでぼやけているような感覚になりますね。
そしてこの「正しさ」という言葉の持つ重さ。
正しさの前ではどんなことも正当化されるのです。
極端な話、戦争だって正しさをぶつけあっているんです。
お互いに自分こそが正しいと言いあって殺すのです。
物理的な殺人でなくても、「正しさ」を間違って振りかざせば、心を殺します。
そして多くの場合、最も正しいことは、多数の意見なのです。
どれほどおかしいことでも、その集団の多数がそういえば、それが「正しい」のです。
私はこれがイジメの大きな要因だと思っています。
作中でも、学級裁判でこのことが語られました。
心を閉ざすきっかけとなったのです。
人はいつも波に揺れるように多数派に押し流されがちです。
しかし多数派に踏まれた少数の人がいることを忘れてはいけません。
正しいから多数派なのではないのです。
今回は2つの名言をご紹介しました。
どちらも心に残る、深く考えさせられる言葉ではないでしょうか。
今回選んだ名言は2つとも少し重めなものでしたが、小説自体が暗い雰囲気というわけでは全然ありません。
むしろとても明るく、会話が面白いです。
原作である小説もアニメもどちらもおすすめですので、よかったらとっつきやすいもので見てみてください。
それでは今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。