赤塚不二夫「天才バカボン」の名言に学ぶ人生哲学
2017/06/27

いらっしゃいませ。
ところで皆さまは赤塚不二夫さん描いた「天才バカボン」はご存知でしょうか。
昔アニメ化もされた人気作品ですが、もしかすると若い方は知らないかもしれませんね。
まずは簡単にあらすじをお話しします。
バカボン一家の日常を描いたギャグ漫画です。
主人公バカボンのパパはもともと天才でしたが、アクシデントによりバカになってしまいました。
バカボンやママ、レレレのおじさんといった個性的なキャラクターたちとどたばたな生活を送ります。
このバカボンパパの口癖が、非常に深いなと感じたのでご紹介したいと思います。
ぜひ皆さまの生き方について、立ち止まってゆっくり考えてみてください。
どんなときでもこの一言
バカボンのパパは作中で、ことあるごとに様々な珍事件に巻き込まれます。
どんなことがあっても最後に一言、口癖のようにこう言うのです。
これでいいのだ!
この言葉、バカボンのパパは本当にバカだなぁと思っていました。
しかし、何があっても「これでいいのだ」と、私たちは言えるでしょうか。
人間はどうしても頭でなにかを考えます。
考えるときには必ず言葉を使用し、言葉は事実から離れて行ってしまいます。
言葉はコミュニケ―ションをとるには便利なツールですが、それ以上のものではありません。
事実や現象そのものではないのです。
また、言葉が表すことのできる限界が、私たちの想像力の限界でもあります。
バカボンパパの「これでいいのだ」は、そういうしがらみから解放し、事実をあるがままに受け止めるということに他ならないのです。
人は色々なものにがんじがらめになり、自由ではいられません。
自由のために不自由を求めるほどにです。
不自由であるからこそ、自由を実感できると言います。
バカボンのパパは、本当の自由を提示してくれているのです。
「天才バカボン」の作者、赤塚不二夫さんもとても自由だったという話です。
真冬の雪の中裸でいたり、面白いと思ったことをすべて実行してしまう方です。
「常識」という檻にいる人からは、奇妙に写ったことでしょう。
しかし同時に、本能的な憧れすらも抱いてしまうのです。
意味を考えないという強み
人間というのはどういうわけか、現象に意味を求めてしまいます。
因果律や流れには意味があると思ってしまうのです。
果たして世界に意味はあるのでしょうか。
それはわかりません。
わからないのであれば、意味があると決めつけるのもおかしなことですよね。
さらに今世界は情報化がどんどん進んでいます。
それによって、偏見がより強く固まってしまっているように思います。
その常識観は他人によって植え付けられたものであることに気付けないでいるのです。
社会自体が意味を求め始め、没個性化が進みつつある今こそ、バカボンパパの「これでいいのだ」という精神が必要なのではないでしょうか。
自分は自分で他人は他人、違っているのは当たり前で、それを受け入れるのが自然です。
そこに「意味」など存在しません。
ただあるがままにそういう事実を受け入れるべきです。
自殺者が増えてしまった今の日本、意味から解放されればもっと楽に生きられると思うのです。
まとめ
バカボンのパパはよく「これでいいのだ」と胸を張って言い放ちます。
何も考えない、意味を求めないというのは、人生を楽しむには本当に大切なことだと思います。
この記事を読んでくださったあなたには、色々考えたうえで「何も考えない」ことに目を向けていただければ幸いです。
作者の赤塚不二夫さんと、家族のように過ごしたタモリさんはこう言います。
「意味なんてないほうが面白い。」
赤塚不二夫さんの「これでいいのだ」精神を受け継いでいるように感じますね。
今回も長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは最後にご唱和ください。
ボンボンバカボン、バカボンボン♪